FFシリーズはいつ終わるのか?


結論から言ってしまうと…

FF1に始まり、FF10によって一応の完結!

作品としてはFF10-2、FF10-2LM、FF11、FF12と続いており、公式には完結していない。
しかし、シリーズとしての魅力は既に失われている他、ちょっと思うことがあるので、それをざっと述べてみたい。

 

 

そもそも、この結論を出したのにはそれなりの理由というものがある。
アレンジCD「FF7 リュニオン・トラックス」のブックレットに、こうある。

[ 渋谷さんの質問に対して ]
植松:
勿論それはそうです。
坂口の方でも、これを最後のチャンスと考えていたようですね。
だから最後の夢っていう意味で「ファイナルファンタジー」って付けたんですよね。

植松信者の筆者が「ほう、そうだったのか」と疑いもなく信じたのは言うまでもない。
なるほど、確かに「Fantasy」には「夢想」という意味があり、「幻想」というよりもこの方がしっくりくる。
これは、見事にFFという作品にリンクしてくる。そう、FF10だ。

 

ご存知のように、夢の世界の住人ティーダが実世界を冒険し、最後は自分の世界に帰還する話である。
しかし、いつもの冒険ものとは質を異にしていて、

帰還=主人公ティーダの消滅=夢の終わり

という図式が成り立つ。つまり、この帰還は「死」を意味する

 

FFと言えば、ある哲学を基礎として物語が成り立っている。これは一側面に過ぎない。
他にも、よく知られた共通テーマの「死」がある。
旧ユーザーは当時目撃しただろう、無用キャラクターが容赦なく死に逝くところを。
新ユーザーも、FF7のエアリスの扱いにはショックを受けたかもしれない。だが、これが本来のFFなのだ。
これを、主人公に対して実行したのがFF10であり、「夢」の世界とうまく組み合わせて暗示の形で「死」を悟らせている。

 

「主人公」は生み出す存在である。
物語が進む上で、イベントを発生させる第一要因となっている。当然だ。
活躍してきたその「主人公」を死なせることは、作品を終わらせるに等しいと思う。
そんなことを抜きにしても、

「Final Fantasy=最後の夢」と「夢の終わり」、FFの隠れたテーマ「死」

の3つのテーマが、全くの偶然だとしてもFF10の内部でリンクしていることは興味深いことだと実感せずにはいられない。

 

 

ところで、FF7が発売される頃は「FF」は既にブランドになっていた。
その売れ行き、int版の製作が何よりの証拠だと思う。
それによって旧ユーザーがFF離れをしたとかしないとか、それは定かではないが、ブランドとしての価値を強く感じるのは気のせいではあるまい。
FF9をその救済処置と見ると、一旦旧ユーザーを引き戻して「FF10も体験してください」と言わんばかりである。
そう思うと、FF10の物語の展開方法にも納得がいくし、FF10で区切りを入れる絶好の機会が得られる。

ティーダ「最後かもしれないだろ… だから…

には、そんな想いが込められているのかもしれない。

 

もちろん、上述したことはFF10と続編FF10-2を切り離す正当な理由にはならない。
と、いうのも

もともとFF10は3部作として構成されていた

からだ。そのため、切り離すことに抵抗がある方もいると思う。
しかし、上述ブランド化に加えて発売時期も考慮すると、この続編はFF11〜FF12の「つなぎ」にしか見えない。
それだけではなく、お気づきの方も居られるだろうが、実は作曲は植松さんではない。
今、このFF10-2に対する扱いが結構ひどいことに驚かされる。
物語も取って付けたようなミッション形式なことに合点がいくというものだ。
(↑これはFFシリーズらしさが出ている部分かもしれないが…まあ、いいや)

 

さらに、FF10以降について、SQUAREの戦略?が特に色濃く出てきていることも否定的判断を助長させる。

・FFのオンライン化、FF11。
・FF10で既にそうだったが、作曲担当の複数制。
・FF10の続編、FF10-2とFF10-2LM。
・FF7の続編企画、COMPILATION of FF7。

考えすぎかもしれないが、旧ユーザーの筆者にとってはもはや「FF」が手の届かないところにあるとさえ感じる。
ブランド化のせいなのか、「面白い作品」から「売れる作品」に変貌してしまったようだ。
続編あたりは特にユーザーのためのFFではなく「開発スタッフのためのFF」というイメージが焼き付いて離れない。
システマチックな流れはシリーズとしての価値を下げ、その魅力はどんどん失われていく。

 

 

いわゆる「FFシリーズ」は、その個々の作品が互いに独立しており、シリーズならぬシリーズである。
坂口さんを筆頭に、毎度変わる斬新なシステム、世界水準の画像技術、植松さんの音楽、天野さんのイメージデザイン、「死」というテーマ、DQとの差別化…… これらがFFシリーズを支えていた。
今や、部分的ではあるが、それも変わりつつある…… いや、「映画的」な作品を目指したFF7の頃から既に変化はあり、バランスが徐々に崩れている、と言う方が正確かもしれない。
そのため、「FF=夢」というテーマに「筆者の想い」を重ねて、シリーズはFF10を以って完結したと考えてみたのである。

2005/02/15


夢人都市に戻る